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第二話 拾得

Author: 春埜馨
last update Last Updated: 2025-09-01 12:19:42

甦ってから三日経った昼下がり、|墨余穏《モーユーウェン》は新しい衣を買いに、|尊丸《ズンワン》と下町へ向かった。

「ここは何も変わってないんだなぁ〜」

「そうだね、ここは相変わらず活気のある人ばかりだよ」

この下町は、古くから商いで賑わう地域で|墨余穏《モーユーウェン》の顔馴染みも多い。|墨余穏《モーユーウェン》は周りからどんな顔をされるか不安だったが、そんな不安は一瞬で吹き飛んだ。

「おい! 嘘だろ! |墨逸《モーイー》じゃないか?! お前、どこに行ってたんだよ!」

「はははっ。久しぶり! 魚屋の亭主!」

「あら〜、|墨逸《モーイー》じゃない! 相変わらずの美男子ね」

「はははっ。甘露の女将さんも、相変わらず美人さんだよ!」

「やっぱ、お前が死んだなんて嘘だったんだな! おい! これ持ってくか?」

「はははっ。ありがとう! 串屋のおいちゃん! この鳥もくれる?」

他にも、新しい符を書いてくれだの、婿に来て欲しいだの、皆寄ってたかって|墨余穏《モーユーウェン》を囲み出した。

こうして愛嬌のある|墨余穏《モーユーウェン》は、誰かと会う度に次々と声を掛けられ、相変わらずの存在感を醸し出していた。

しばらく歩くと|豪剛《ハオガン》も行きつけだった呉服屋に到着し、|墨余穏《モーユーウェン》と|尊丸《ズンワン》は中へ入る。

すると、|墨余穏《モーユーウェン》が戻ってきたと噂を聞きつけていた大旦那が、涙を流しながら|墨余穏《モーユーウェン》を思いっきり抱きしめた。

「|豪剛《ハオガン》のように、ええ男になったの〜、|墨逸《モーイー》! あんな小さくか弱かったのになぁ。|豪剛《ハオガン》もきっと喜んどるわ〜。ワシも嬉しすぎて、もういつ死んでも構わんな!」

「はははっ。だめだめ。俺の衣、大旦那に死ぬまで仕立ててもらわなきゃいけないから!」

そう言葉を交わし、|墨余穏《モーユーウェン》は|豪剛《ハオガン》がいつも着ていた黒色の衣を、数点選定してもらった。

|墨余穏《モーユーウェン》は黒が映える男だ。肌白さがより衣の黒を引き立てているようにも見える。

玉佩をつける紐だけを白にし、無駄を無くして品よくまとめる様は|豪剛《ハオガン》譲りだ。

|墨余穏《モーユーウェン》が鏡を見ていると、背後から大旦那が話し始める。

「|豪剛《ハオガン》はよく言っていたよなぁ。『できる奴は派手に着飾ったりしない。余計な物は身につけねーんだ』って。墨逸もこれでええんか?」

「うん。これでいいよ」

「なんか刺繍は入れるか? 何でもええぞ。名前や花とかでも」

花と聞いて|墨余穏《モーユーウェン》は、水仙の花を襟の内側に小さく入れて欲しいと頼んだ。大旦那は想い人でもいるのか? と言わんばかりに、目を細めて尋ねる。

「ほぉ。水仙か。何かあるのか?」

「ん? 好きな花だから。ただ、それだけだよ」

好きな花……。

いや、手に取れそうもない花だからこそ、選んだのかもしれない。

|墨余穏《モーユーウェン》はそっと小さく微笑み、出来上がるのを待つことにした。

しばらく待つこと一炷香。

出来上がった衣を持った大旦那が|墨余穏《モーユーウェン》の元へやってくる。

「|墨逸《モーイー》、待たせたな。これでええか?」

「うん、とっても綺麗だ。ありがとう」

手仕事とは思えない程、白糸で縫われた水仙の刺繍はとても美しかった。

それから一通りのやり取りを終え、|墨余穏《モーユーウェン》たちは呉服屋を後にする。

下町から尊仙廟へ戻ったのは、酉の刻だった。

いい買い物をしたとご満悦な|墨余穏《モーユーウェン》は、夕餉を済ませ、部屋で呪符を書き連ねていると、尊仙廟の裏手にある|黄山《こうざん》から何やら大きな妖魔の気配を感じた。

(何だ? この威圧感は……。ちょっと様子を見に行くか)

|墨余穏《モーユーウェン》は書き連ねた呪符を数枚胸元に忍ばせ、|尊丸《ズンワン》のいる居間へ向かう。

|尊丸《ズンワン》は|墨余穏《モーユーウェン》の様子を察知し、心配そうに「行くのかい?」と尋ねた。

「うん。大丈夫。呪符もいっぱい持ったし、ちょうど腕試しをしたかったところだから」

「本当に大丈夫なのかい? 体力もまだそんな……」

「はははっ。大丈夫だって。必ず帰ってくるから」

|墨余穏《モーユーウェン》は、何も心配いらないといった様子で、今日新調した衣の襟元を正す。

「じゃ!」と|尊丸《ズンワン》に言い残し、|墨余穏《モーユーウェン》は意気揚々と黄山へ向かった。

|尊丸《ズンワン》が言っていた通り、華陰山の守護が壊されてから、以前とは違う異様な霊気が麓から漂っていた。

さすがの|墨余穏《モーユーウェン》も、違和感を抱けずにはいられない。

|墨余穏《モーユーウェン》は胸元から呪符を取り出し、目印になる木に触れていく。次第に呪符が木の中に入り、来た道を示してくれるようになる。草木を駆き分け、超人の走りをしながら中へと進むと、ここは山の中腹だろうか。

異様な妖気が漂う少し開けた場所が見えてきた。

|墨余穏《モーユーウェン》は木の上に飛び移り、呼吸を整えながら全体を見渡す。

すると、背後から得体の知れない妖魔が|墨余穏《モーユーウェン》に向かって飛びかかってくるではないか!

「おいおい、脅かすなよ〜」

|墨余穏《モーユーウェン》は、余裕綽々で妖魔の攻撃を躱わす。

月明かりに照らされた妖魔をよく見ると、一つ目で尻尾が三つに分かれている、|讙《カン》に似た幻獣だった。

眼光を鋭くして、鋭利な牙をこちらに向けている。

修仙界の道士であっても、鍛錬を積んでいる特殊な道士で無ければ、この類いの妖魔は殺せない。

しかし、|墨余穏《モーユーウェン》は恐怖心など微塵も感じることなく呪符を胸元から取り出し、尖った木の枝に指滑らせて、滲み出る鮮血を呪符に垂らした。

すると、みるみるうちに白色の呪符が黄色へと変わり、文字も赤へと変貌する。

墨余穏は死ぬ前と同じ霊力があると確信し、この鋭利な牙を向けて襲いかかってくる幻獣の頭に、呪符を叩きつけた!

地面に思いっきり叩きつけられた幻獣は、頭部が真っ二つに割れ、ピクリともせず即死した。

「…え、もう終わり?」

あっけなく終わってしまった妖魔退治に、|墨余穏《モーユーウェン》は思わず独り言を漏らす。

幻獣は然程珍しくはないが、|讙《カン》に似た幻獣を見られるのは貴重だ。

墨余穏は死んだ讙の様子を眺めながら、ふと忘れ物に気づく。

「あっ、|埋投符《まいぼつふ》を忘れちまった……」

この界隈の門派たちは妖魔を退治した後、埋投符という呪符に妖魔をまるごと封じ込め、ありとあらゆる邪気が消えるよう念仏を唱えながら、その呪符を土に埋める「|封《ふう》」という儀式を行う。

「まぁ、通りかがった門派の誰かがやってくれるだろ」

|墨余穏《モーユーウェン》は、人任せな独り言を呟いて、登ってきた時に呪符を入れ込んでおいた木々を伝って、山を降った。

一方で、この邪悪な妖魔の気配を感じ、|墨余穏《モーユーウェン》と入れ違うように|寒仙雪門《かんせんせつもん》の門弟・|一恩《イーエン》と|一優《イーヨウ》が到着した。

「な、何だこれは?!」

「山海経にある幻獣だろうか? もう誰かが退治してくれたようだ」

地面が割れるほどの衝撃を加えられている様子から、どのように戦ったのか二人は幻獣の近くを彷徨く。

すると、少し遅れて黄玉の瞳を細めた|師玉寧《シーギョクニン》がやってきた。

|一恩《イーエン》と|一優《イーユイ》は|師玉寧《シーギョクニン》の元に駆け寄り、拱手する。

『|師《シー》門主! お疲れ様です!』

「うん。何か変わった様子は?」

「門主! こちらを見つけました」

|一恩《イーエン》が、一枚の呪符を差し出す。

|師玉寧《シーギョクニン》は何の表情も変えず、差し出された呪符を手に取った。

「どこにあった?」

「幻獣の割れた頭に付いていました」

そう|一優《イーユイ》が話すと、「そうか……」と言って師玉寧は呪符をしばらく眺めた。

「門主のお知り合いか誰かの呪符ですか? 凄い力をお持ちの方ですね。呪符一枚でこんなに地面が割れるのですから」

|一恩《イーエン》は目を光らせて|師玉寧《シーギョクニン》に問う。

しかし、|師玉寧《シーギョクニン》は何も言わずただ呪符を眺めるだけだった。

『門主……?』

二人は首を傾げ、|師玉寧《シーギョクニン》の返事を待つ。

するとようやく、|師玉寧《シーギョクニン》が口を開いた。

「これは、私が預かっておく。お前たちは先に帰りなさい。後の事は私がやっておく」

「よろしいのですか……?」

「構わん」

二人は顔を見合わせ、少し戸惑うも|師玉寧《シーギョクニン》に拱手をして、先に寒仙雪門へと帰っていった。

一人になった|師玉寧《シーギョクニン》は念仏を唱えながら埋投符を取り出し、讙を丸ごと封印したあと、地面に埋めた。

柔らかい風が頬を掠め、長い黒髪が月に照らされ美しく靡く。

|師玉寧《シーギョクニン》は、無数に輝く星空と月を仰ぎながら独り呟いた。

「|墨逸《モーイー》……、本当にお前なのか……」

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